引越し

2003年3月24日
今日は引越し前夜です。

「じゃあもう荷物はまとめたんだね」
彼女が優しく問い掛けます。

僕の答えは
「いや、まったく(爆)」です。

ちなみに彼女いません。空想です(爆×2)

やる気しないんです。
クロネコヤマトの人が梱包してくれるって言うから
「けっきょくやる事ない?」
とたかをくくっております。

こうゆう人はけっきょく最後で痛い目を見るんでしょう。
「入社日に引越し間に合わねぇ〜よぉ〜」とかです。
でも引越しってそんな荷物あるか?
というのが僕の素朴なギモンです。
洗濯機とベッド、それから布団。
それだけであとは自分で運べる小物ばかりなんだけど。

なんか不安だ。
こんなんでいいのか。
こんなもんなのか、引越しとは。
みんなはもっと考えているんじゃ?
自分だけが気付いていない「なにか」があるんじゃないのか。

おれは間違っていないか。
おれに愛される資格はあるか。
おれは真実へと歩いているかい。
シェリ〜、Oh〜〜、シェリ〜

って、ここまで落ち込まんでも・・・
って思う月もまどろむ東京の夜。
夜の冷たい風に吹かれてタバコ吸う。これ最高。
自分自身がまるで月9の主人公。ナルですから。

さぁてボチボチ取り掛かるかぁ。
あ〜メンド。。。

音楽について

2003年3月22日
え〜音楽キライになりました。

ジャズ研に演奏しに行ったんですよ。
そしたら僕よりもわかいピアノの男やサックスの女の子
がいてもうイヤになっちゃいますね。
うまい人っていうのは。
一緒に演奏をすると、自分の惨めさを
ツキツキ突かれている感じです。

だから音楽でメシ食っていける人を
ホント尊敬します。
僕にはムリです。僕は1番でいたいんです。
1番じゃなきゃダメです。
オンリーワンだけじゃあダメなんです。

1番になれそうにもないものに
「楽しければいい」
はと人生を賭けるのは、ムリ、です。
僕は昨日やはり悟りました。

人間は時に上を見て希望を語るが、
それ以上に下を見て、優越感に浸り、人を見下して
自分を安心させている汚い動物なんだと。
そうでないと反論する人は幸せでしょう。

僕はとにかく自分を慰めるのに
周りのダメな友達とかを思い出して
「あ〜おれはまだマシや」とか思う汚い人間です。また理想論にあるように
「昨日の自分と比べて、今日の自分がどうであったか」
という方法も使いますが、それは効力薄いです。

正論ではないものが真実だとしたら。

世の中、
これがごっちゃになっている気がします。

人のドラマ

2003年3月16日
を最近よく感じます。

といっても大体がテレビだったりするんだけど。

三浦カズの密着取材をしていて
「おれを終わったと思ってる奴は、それでいい」
とか言っていた。
何を隠そう私も「カズは終わった」信奉論者である。
だって点とってないしぃ〜みたいな理由だけど。

彼は「夢をもつことの意義」を子供達に教える活動
をしている。
彼は全力で何かをやる環境の中で生きてきた。
だから、そう、考えるんだろう。

でも、この世の中に例えば病気の人がいたとして
彼女もいずれは夢をもって生きていくんだろうが、
(夢なしに生きることは、私も考えられない)
いま気持ちマックスに落ち込んでいる人に向かって
「夢もとうよ」
とは、残酷ではないのか。
意味あるのか。
答えはひとつなのか。

それがぼくの命題です。

ぼくの場合の世間的な意味での夢とは、
かなうかなわないの問題じゃあないですね。
夢じゃなくて目標ですから。
僕しかやれる人いないんですから。
やるしかないというか、まぁ決まってるんですね。
もう。運命でしょうか。決定事項です。
なので、

どうやって、やるか、これしか考えてないです。

セッション

2003年3月14日
に行ってきた。

ジャズのセッションである。
大学のジャズ研に殴りこみに行ったのだ。
この半年、おれはセッションは避けてきた。
だって、できる曲が少ないから、できない曲を女の子から

「やりませんか?」

と誘われても
「あ〜やった事ないから無理」
と断ざるをえなかった悲しい状況があった。
が、しかしである。

ここ最近の「家に閉じこもりオナニー練習」によって
知らない曲でもなんとか対応できるまでにレベルアップした。
ので、今日は午後5時から10時まで
弾きまくった。
失敗しまくった。
恥かきまくった。
しかし、まぁなんとか体面を繕うくらいはできただろう。

はぁ〜疲れタマキン。

ふつ〜じゃねぇ〜よ。5時間の演奏なんて。
腰が痛くて今は死にそうです。
3時間やりまくったみたいです。

でもこの充実感はなんだ。

やはり僕の中で真実の幸福とは
自らの精神的な進化であり、そこに愛や恋など
というあいまいで他人本願なカオスなど存在しないのである。

早いはなし、オレって天才〜〜

ってことです。

おれって頭おかしい

2003年3月12日
と思います。さいきん。

だって「戦争反対」だけど、戦争反対!って叫んでる人達がいると
引きますもん。まぁ普通か。
知り合いにホモがいて、じゃあオンナってなんだろうと考えます。
そうすると僕の場合は、オマンコでしかないんです。
実際そうなんです。おかしいんです。

心の安らぎを求めるなら、オトコでもいい気がします。
ましてや昨今の「かわいい子争奪戦」に加わる気なんてないですから。
それを遠くから見守ってしまう星明子のような
自分がいます。
そりゃ〜可愛い天使のような子なら一緒にいたいと思いますよ。

でも、実際付き合えるのはそうじゃないでしょう。

そこでぼくは紳士になります。
「オンナは顔じゃないよ。心だよ」と。
それじゃあ、オトコはど〜なんだ、というわけです。オトコでい〜んじゃないのか、と。
じゃあやっぱオンナは顔なんじゃ、オマンコなんじゃ、おっぱいなんじゃ、ないのか。
と思う次第です。
さいきん、第15発情期に入りました。
股間立ちっぱなしです。

ジャズの本質は「いいかげんなマインド」らしいです。

早くそこに行ってみたい昨今です。

民主主義の正体

2003年3月10日
今日、ビデオに撮っておいた番組を見た。

日曜昼から4チャンネルでやっている堂本光一が
主催の「討論番組」です。
(↑名前がわからんのでこんなに長くなった)

テーマは「戦争」

そのなかで韓国人の女の子がいて
「今の日本の若者は、なってない」とか
「韓国では戦争の教育がなされている」とか
「日本はなんで謝らない?」とか言っていた。

でも、なんでしょうね。
なんで討論番組って見ててムカツクんでしょうか。
まぁ大半が「オメ〜が言うなよ!」って事でしょうか。
たぶん僕が民主主義に反しているからでしょうかね。
まぁそれはさておき。
僕も意見なんかバンバン言っちゃうタイプですから。影でね。

それで今日、「民主主義の正体」がわかりました。

それは「弱肉強食」ってやめようよ。
ですね。これが民主主義のテーマです。
みんなの意見取り入れて、みんなの自由確保して
みんなの生活を安定させて。

けっきょくさ〜、「民主主義、賛成!」って
言ってる人たちって、独裁政権で権力側につけば
平気で「ヒトラー万歳!」って言う人たちだと思うよ。おれは。

え〜

2003年3月9日
別に書く事もないので題名が「え〜」である。

さいきん、記憶力がなくなった。
年のせいです。
あと変な「こだわり」がなくなってしまった。
絶対こうゆう大人にはならねぇ!みたいな。

まぁべつにいいんじゃない?

なんていえる自分になったのです。
これは果たして進化なのか退化なのか。
しかし、これだけは言える。
この価値観が変わってきた理由は、けっして年のせいではなく
ぼく自身が苦労して、痛みを伴って、一人で悩み、苦しみ、
しかし外見ではヘロヘロ笑っていなければならないという
ファックな社会の渦の中で必死にもがきつづけた
僕の勝利なわけです。
早い話が、

オレは誰の手も借りずに壁をぶち破ってやった

と言いたいのであります。
そんな障害を乗り越えた先に待っているものは
なんと「ぐだぐだ」だったわけです。

そこで気付きました。

僕は世間一般のひとがなぜ笑って生きれるのかを
理解できたのです。
それは「悩みがない」からでしょう。
僕は回りまわって、やっとスタートラインに立ったのです。

日記書けねぇ

2003年3月8日
自分の日記にアクセスしたら

日記が書けない???

再度ログインすればいいことに気付くのに3日かかった。
ふざけんなよ!マジで。
面白いこといっぱいあったのに・・・
めんどくさいので、ふて寝。

早朝3時の渋谷の街をかっぽした。
だ〜れもいなかったよ。ホント気持ちよかった。
ハチ公にも会えたし。あんなとこにいたんだな。
東京は人が少なくなれば、いい街になる。

100年後の日本の人口は8000万だと聞く。
移民受け入れも産業の安定化のためには必要かもしれない。
でもいいじゃないか。
のんびり人の少ない街を歩くのも。

ところで、今度チャットで知り合った人と
会う事になった。
向こうからのお誘いである。
テレビでしか見たことのない世界がそこにある。
まぁ軽い気持ちで「興味あります」くらいの
程度でしかないのだが、ど〜やら向こうは
SFが欲し〜だそうだ。

かわいかったらよしとしよう。

その約束をしてから、股間が立ちっぱなしである。
オトコなら一度はそ〜いう「大人の関係」を
してみたいのではないだろうか。
だって、楽だもん。

モーホー

2003年3月5日
音楽を習っている。
イヤトレというやつだ。
音感をよくしたいのです。
僕は、聞いた音楽をハミングで歌えます。
でも音階はわかりません。
だから、楽器でそのメロディを再現する事ができないのです。

個人レッスンだが、たまに早く行くと前の生徒が
まだ授業をやっていたりする。
その生徒さんは、聞いた音楽をハミングで歌えないのです。
とうぜん音階もわかりません。
「はぁ〜大変だ。こりゃ」
この一言で終わります。

音楽のセンセイがホモでした。
ホモにもいろいろあることを習いました。
僕はホモではありません。
でも、じゃあ

ホモって何?

と問うと微妙です。
僕の考えではどの男もみんな「ホモ気」
はあると思います。
オトコが男の体を見て「カッコイイ−」
これはホモ気です。僕にもあります。
松井のケツなんかかっこいいです。
摩沙斗(字間違ったらスマソ)もいいです。
惚れました。

オンナが生殖器を失くしたら・・・

僕はオトコに走るでしょう。
だって、ホモのほうが尽くしてくれますから。
たぶん。

朝まで生テレビ

2003年3月1日
を見た。

題目は「40代が考える日本」。
コメンテーターに40代の若手をそろえたのだ。
これはなかなかおもしろい。

イラク問題について。
どーやら、戦争の意図は石油利権ではないようだ。
ぼくは、
政治=あくどい。
首相=うそつき。
戦争=権力争い。
というイメージに酔っていた。

これは「自分以外は全部ウソ」

という一種の自己愛から来るものであり、
傲慢以外の何者でもない。そして、
ここでも「知識のなさ」が生み出すとんでもない
誤解というものに直面したのである。

知識の詰め込みというものは悪い事ではない。
受験で問題なのは、意味のない知識だからである。
古文の例文覚えてなんになるのか
世界の首都暗記しても意味ないじゃん!
そんな感じです。

そこで真実とは。

真実とは、あるものを熱心に勉強したもの同士が持つ
共通の価値観もしくは概念だろうと思う。
朝まで生テレビでの社会学者のセンセイ達が
「戦争は石油利権目的ではない」
といえば、やはりそうなのだろう、と思う。
ぼくがその意見に反対をするとすれば、

「お前らの言う事、なんかムカツク」
というわけのわからん意地っ張りでしかない。



自分を信じる

2003年2月28日
ってなんやろ、と最近思うのであります。

例えば
会社で若い娘のケツ触った。
殴られた。でも「自分が触りたい!」という欲求
を信じたまでなので、大丈夫♪

僕はストレスとかあったときに
「将来のオレはめっちゃすごいんやから、今はしゃーない」
とか思うとすんごい楽になります。
自分の将来を、自分の才能を信じているわけです。

でもこれと、前の例とはどこがどう違うのかは
わかりません。同じ「逃げ」なのかもしれません。

今日は看護婦殺人事件のニュースをやっていました。
3角関係のもつれだそうです。
1人の男の取り合いです。
ニュースの中で、ある評論家が
裁判所での男の言葉にとてもビックリしていました。
「親友を殺してまでも、自分を愛してくれている
A子と一緒にいたい」と。

これはキチガイだと。

そうでしょうか。
おかしいんでしょうか。
おかしいコメントなんでしょうか。
殺したのはおかしい。
でも、事実、殺すほど愛しているというのは、
それをうれしいと言うのは、そんなにおかしい
事なのでしょうか。

僕はまだよくわかりません。


入社

2003年2月27日
え〜今日は、会社から入社案内がやってまいりました。

かなりブルーです。

4月1日の集合時間。持ってくるもの。
研修の内容などが書かれてありました。
研修は、どこかの研修センターにカンズメのようです。
それを見た私の最初の印象は

「オレらってカイジじゃん!!」

です。カイジという漫画です。
わからない人用に。
なんか会社の言い分としては
「会社に入るって事は、身も心もすべて会社に
あずけるという意味なんだよ」
という声が聞こえてきそうです。

めんどいです。研修。
会社でやればいいのに・・・
カンズメって事は、3日はギター触れません。
楽器をやっていらっしゃる方はわかると思いますが、
演奏家が楽器を触らないで一日を終わるとき、
はっきり言って「むなくそ悪い」のです。
気持ち悪くて寝れません。どうしたものか。

仕方ないので、リコーダーの笛でも持っていこうか
と思案しております。
気分はジョン・コルトレーンでしょう。

テレビ

2003年2月25日
今日はテレビについて書きたいと思います。

僕はテレビをよく見ます。
ギターを弾いていると、もちろん弾いているだけ
でなく曲の分析や、弾きながら考えている事が
多いのですが、ど〜しよ〜もなく頭がボーっとしてきます。

そんなときは、もうダメぽ、です。

そこでテレビです。
気分転換です。
でも昼ドラの臭すぎて「お前殺したろか」的な演技
やニュース番組は最低です。
今日は、午後6時からのニュースで
1、4、6、8、10、12チャンネルが
北朝鮮のミサイル発射を同時に放送してました。

仕方ないので3ちゃん見ましたよ。僕は。
街の人のコメントもバカですね。
「怖いです」だって。
なんか人事みたいです。
自分がどうにかしようという気ないです。
なんなんでしょうか。

小泉首相のコメント:
「慎重に見守りたいと思います」
一見バカなよーですが、一番賢いコメントです。
悪く言えば、
「眼中にね−んじゃ、コラ!」でしょう。
どうせ脅しだけなんですから。

死ねる。

2003年2月23日
今日は「スポーツうるぐす」で
柴田アナが泣きました。

なんか柴田アナがなんかの女子スポーツ選手に
密着レポをして、その最後に預かっていた
母親からの手紙を渡し「お涙頂戴、はいカット!」みたいな番組でした。

そしてスタジオにキューとなったところで
柴田アナ号泣。
普段から柴田アナはかわいい、と思っていた自分ですが
そのときは化粧も崩れて、実は顔はキモイという
ことに気付きました。ハイ。

でも、そこで終わりません。
ぼくは、その柴田アナを見てますますかわいい
と思えたのです。
つまりは他人のために涙を流している柴田アナに
ぞっこん惚れたわけです。男は女の涙に弱いっすね〜ほんとに。
ブサイクでもいい、他人の心のわかる人になれ!

これが真実ですね。

ヤンキースの監督

2003年2月19日
が松井に対して、記者団にこう言った。


「彼に言おうと思っているのは我慢強くやれということ。
“なぜきょうできなかったのか”などと考えないこと。
リーグを移るだけでも難しいのに、国まで変わるのだから…。
バットを振るたびにすごいことを起こそうとは思わないことだ」


これってすごい格言だと思った。
オレは今日のミスは、深く反省しその分析をして
明日に備える、それが最善の道だと思っていたのだ。
しかしこの言葉を聞いたときに、オレは
脳天からカミソリが降ってくるかのような戦慄を感じた。

オレは、よくよく考えた先に何かが待っているものと
ず〜と思ってきた。
だからそれを追いかけてきた。でも現実では
そうではないらしい事がわかりつつある。
「妥協や諦めから生まれる何か」をオレは、何度か見てきた。

なぜそういったものがあるのかはわからない。
理にかなっていないのに、だ。
純粋すぎる正義は、逆に悪となり周りの人を苦しめ、
純粋すぎる愛は、現実を拒み頭をかきむしる。

「純粋すぎる」っていいことではないのだ。
物事の先の先に幸せってないのかも知れない
って思うのだよ、最近。

日本の態度

2003年2月18日
日本人はバカである。

「なぜ意見を言わないんですかねぇ」
福留アナが言う。
小倉さんがいう。
オセロの中島にさえ言われる。
しかし、彼らは「こうしたらいい」とは絶対に言わない。
言えない。なぜなら、わからないからだと思う。

なぜ政府に丸投げ的な意見しか言わないのか。
彼らのような存在が、政治をダメにしているのだ。
世界的に反戦デモが起きている。
中には恥ずかしいのもある。でも、がんばって訴えている。
一番意見を言っていないのは、テレビの中の
ご意見番だろう。

僕は、今までは日本は意見を言っちゃあいけないと思っていた。
戦争放棄のこの国が「アメリカ支援」とは
言えないと思うからだ。
しかし、北朝鮮問題でアメリカ反対とも言えないのである。

う〜ん、困ったぞ。

理想論を通せば、戦争放棄。
でも、現実論は石油欲しいのだ、日本も。
そこで、こう言うのがベストと考える。

極秘にアメリカと内密し、戦争を支援しましょうと言う。
でも公式の場では「査察路線」を強調する。
アメリカには公の場での言葉は、無視してくれと言っておく。
そして資金面援助の恩として、イラク統治後の石油の
分け前を詳細に戦争前に保証してもらう。

これで、万事OK。
仮に戦争になったらアメリカにつけばいいし、
戦争がダメになったら、日本の査察継続という
方針を貫いたおかげだと言えばいい。

これは汚いようであるが、これが現実である。
もちろん、戦争が起きないことがベストである事は
言うまでもない。

特殊相対論

2003年2月13日
僕は真理を求めて生きている。

なぜに自分が生まれたのか、僕が生きている意味はあるのか
僕のするべき事って何だろう、とか色々である。
そして、現実社会での出来事があらゆるデータとなり
そこから派生する物理現象を解明していく事から
ぼくはこの世で生きるべき法則を見出そうともがいてきた。

特殊相対論によると、光速の半分の速さで動く物体は
止まっている観測者から見ると0.866倍に縮まって見える、とある。
ここで注目すべきは、「光速の半分の速さで動いているドラえもん」が
1メートルのモノサシを持っていた場合、そのモノサシは
当然1メートルであって、「止まっている人物ののび太」からは
それは縮まって見えるのである。

このときに、やれのび太は目が狂ったとかドラえも
んの目はでかすぎて手に負えないなどと
「どっちが正解か」という議論は意味がない。
両方合っているのだ。両者に共通の価値観などない。

このことから、現実社会でも「お前の価値観はおかしい」
という論議自体が実はおかしくて、意味のないことなのではないのか。
ただ自分はおかしくないという為だけの、劣等感を
持ちたくない、持つのが怖いという種による一種の
マインドコントロールのような気がしてしまう。

そして僕は思う。
「全ての人に共通のもの」なんてないのではないか。
そういったものがある、と人は無意識に感じていて
それで愛とか信頼とかに拘るのではないのか。
それは本当の愛があるとして、その本質を掴んでいる人は
本当に一握りであろう。
この世の多くの人が思っている愛とは実は
ただの同情である可能性が高い。

僕は、この特殊相対論から
「他人も正解であり、自分もまた正解であるならば
それは自分の理解しがたい他人の行為も実は正解で
それを非難する事は意味がなく、その行為を認め、
さらに自分という存在は、世界でたった一つの実験場であり、
他の誰もが僕の実験場では実験をする事ができない、
それはつまり、僕の実験場−人生から得られるデータは
世界でただ一つのものであるから、それはとても
大事にしなければならないのだ。」と仮定できる。

つまりは簡単に言うと、スマップの新曲を聞いてください
と言ふ事です。


僕の生きる道

2003年2月12日
「ここに一冊の本があります。

この本の持ち主は、今度読もう、今度読もうと思いながらも
けっきょく1年間、この本を読むことがありませんでした。
この本の持ち主は、本を読む時間がなかったのでしょうか。

多分違います。
読もうと思わなかったのだと思います。この事に持
ち主が気付かないうちは、たとえ5年あっても10
年あっても、この本を読むことはないでしょう。

就職まであと1ヶ月ちょっとです。
あ〜もう1ヶ月しかないのかぁと思う方もいらっしゃるかもしれません。
でもそこで何もしないでいれば、結局何も変わりません。
この1ヶ月とにかく一生懸命やってみませんか」

2003年2月9日
今日、家を留守していた間に自分の書類を
許可なく勝手に親に見られた。

家に帰ってくると
「ちょっとこれ見たんだけど」
と言われた。

これは正確には違う。
見たのではなく、スパイである。
前にも同じような事があり、そのときは親に尋ねた。
何で見るのさ、と。するとその答えはまさに教科書どおりの
「親だから当り前」というものだった。

そして後癖には「親になればわかるよ」という。
これも正確には違う。
今のオレの親は「親になる事を望んだ」のだ。
親になれば、というあたかも向こうからやってくる
かのような表現はおかしい。

そもそもオレは親にならない事を望むかもしれないからだ。
そしてその親になる事を望み、子供が誕生したら
それが親というものだろう。そこで「親になった」
と言えるのだ。

そして親になるということを決断した以上
子供のしたいことを全てさせるのが親というものだろう。
それは子供側の甘えかもしれない。
「生活費って大変なのよ」というかもしれない。
じゃあ、なぜ産むということを選んだんだ、
と言いたい。
選ばなければよかったのだ。
さらに自分の決断で選んだのだから、その責任は
きちんと負わなければならない、と思う。
そもそも産んでおいて、「はい、終わり」的な
バカ親が多いんじゃねーのか。

おれは自分の部屋をあらされ、
まさにストーカーのように恐怖すら感じる。
その前に気持ち悪い。親を殴ってやりたい。
ぶっ殺してやりたい。アーネストローキックを
食らわせてやりたい。しかし、やらない。
それは親がもはや弱い存在である事を知っているからだ。
闘って必ず勝てる相手に、勝負を挑むのは
バカげている。

だから俺はこう考えて生きてきた。
オレは好きなように生きる。
金ももらう。好きな大学に行く。
そのかわりストーカーされても文句はいわない。
暴力もなし。そのかわり口はきかない。
そして親に「産んでくれてありがとう」なんて
口が裂けても言えるか、バーカ。

オレは氷川きよしが大嫌いである。
彼は「親を嫌いな奴は許せないですね」と言っていた。
目の前に彼がいると思うと、血がこみ上げてくる。
多分現実にいたら殴り殺すと思う。
どんなに貧乏だったか知らないが、
てめーのクセー親子物語の価値観を人に強要するんじゃねーよ、と言ってやる。


人として

2003年2月5日
人って助けられて生きているんだなぁ

としみじみ思う今日この頃です。
まぁ自分に不手際があって、自分がミスをしたんだけど
それで周りの人が助けてくれてすべてがうまくいく
なんて今までそんなに経験した事ないもんですから。

ぼくは今のサッカー日本代表のように
「個々が強くなければ意味がない!!」
と力説してきた人物であり、
「できれば組織はいらない」というスタイルだったのです。

これはつまり「オレに合わせろ、そうすれば間違いない」
ということで、でも今回の事件でいろいろわかりました。
人はやはり一人では無理だ、と。
いや、もしかしたら一人でもいいかもしれない。
でも2人の方が楽だよ、と。
大勢の方が楽だよ、とそう言いたいです。

楽な方に走るのは負けなのでしょうーか。
僕にはわかりません。
でも心が温かくなれました。ぽかぽかしています。
生きてる、って感じがします。

それでいいんじゃないでしょーか。
それを科学的に分析し、脳内ホルモンが・・とか
語らなくていいんじゃないでしょーか。
金八先生の
「人として人に傷つき、人として人に迷い
人として人と別れて それでも 人しか愛せない」
 
それが全てなんじゃないでしょーか。

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