特殊相対論

2003年2月13日
僕は真理を求めて生きている。

なぜに自分が生まれたのか、僕が生きている意味はあるのか
僕のするべき事って何だろう、とか色々である。
そして、現実社会での出来事があらゆるデータとなり
そこから派生する物理現象を解明していく事から
ぼくはこの世で生きるべき法則を見出そうともがいてきた。

特殊相対論によると、光速の半分の速さで動く物体は
止まっている観測者から見ると0.866倍に縮まって見える、とある。
ここで注目すべきは、「光速の半分の速さで動いているドラえもん」が
1メートルのモノサシを持っていた場合、そのモノサシは
当然1メートルであって、「止まっている人物ののび太」からは
それは縮まって見えるのである。

このときに、やれのび太は目が狂ったとかドラえも
んの目はでかすぎて手に負えないなどと
「どっちが正解か」という議論は意味がない。
両方合っているのだ。両者に共通の価値観などない。

このことから、現実社会でも「お前の価値観はおかしい」
という論議自体が実はおかしくて、意味のないことなのではないのか。
ただ自分はおかしくないという為だけの、劣等感を
持ちたくない、持つのが怖いという種による一種の
マインドコントロールのような気がしてしまう。

そして僕は思う。
「全ての人に共通のもの」なんてないのではないか。
そういったものがある、と人は無意識に感じていて
それで愛とか信頼とかに拘るのではないのか。
それは本当の愛があるとして、その本質を掴んでいる人は
本当に一握りであろう。
この世の多くの人が思っている愛とは実は
ただの同情である可能性が高い。

僕は、この特殊相対論から
「他人も正解であり、自分もまた正解であるならば
それは自分の理解しがたい他人の行為も実は正解で
それを非難する事は意味がなく、その行為を認め、
さらに自分という存在は、世界でたった一つの実験場であり、
他の誰もが僕の実験場では実験をする事ができない、
それはつまり、僕の実験場−人生から得られるデータは
世界でただ一つのものであるから、それはとても
大事にしなければならないのだ。」と仮定できる。

つまりは簡単に言うと、スマップの新曲を聞いてください
と言ふ事です。


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