ロンバケ
2002年9月4日今日久々に「ロングバケーション」を見た。
昔、ビデオで借りてダビングしておいたものを、
本棚の置くから引っ張り出してきて、見た。
それもこれもまぁ、ピアノを弾くために、
自分に酔うためにセナの姿でも見ようかと。
そんな感じです。
あのドラマはやっぱいい。
最近のドラマがなぜ面白くないか。
やはりそれは「照明」に尽きるだろう。
なぜに「渡る世間は鬼ばかり」の厨房はあんなに
明るいのか。
実際のお店は、居心地がいいように
照明は落としているではないか。
なぜに大河ドラマの「信長」に絵的に
信憑性が無いか。
なぜにあの時代はあんなに明るいのか。
着物の派手な色使いも、昔は「色褪せたイイ感じ」であったのではないのか。
畳にしたって、襖にしたってなんかうそ臭い。
そしてそのうそ臭さが、俳優にまで影響を
及ぼしてしまっている。
カツラの付け根が見えるではないか。
なぜに「暑いなぁ〜今日は」
という会話なのに、俳優は汗ひとつかいていないのだ。
この世は希薄であると人は言う。
その通りかもしれない。
この世は滅亡に向かって走っていると、
人は期待する。
現実的にそうだろう。
人は希望と言うものにすがって生きている。
それしかないからだろう。
人は自分を正当化する。
みんな自分が好きなんだろう。
人は群れる。
みんな寂しいんだろう。
人は愛する。
自分を抱きしめて欲しいんだろう。
そんな世の中で、矛盾が無い事がおかしい。
僕は、理想を探していた自分とは、
どこか変わってしまった。
全てを受け入れるようになってしまった。
尾崎豊がどうしても手に入れられなかったもの。
―「心の余裕」
僕はそれを手にした途端に、世界がぼやけ始めた。
またはっきりと見えなくなった。
でも心に温かいものが芽生えた。
滅亡を望まなくなった。
理想を置いてきてしまった。
なぜならば、理想の先に待っていたものは哀しみ
だったから。
僕は、現実のなかにまた違った形あるものを探そう
としている。
そして、その自分が探そうとしているものが、
「自分の思い通りじゃなくてもいい」
と思えるまでになってしまった。
負の方向の力が、正の方向へ変わった時。
そこからは、周りが砂漠で囲まれた長い
道のりが待っているだけだ。
そして、僕はその道をまっすぐ見つめて、
歩き始める準備ができた。
それは心の問題だ。
その道があまりにも平坦だから、
いままでは周りの砂漠を歩きつぶした。
「もっといいことはないか」って。
でも僕の人生は決まっていたような気がする。
僕は、自分のやれることしかやらないと言う事に
反抗してきた。
僕は、この世界の全てを変えたいと思って
いたんだ。
でも、それは難しい、と思うようになった。
なぜならば、
それには人が動かないとダメだからだ。
そしてその人を動かすと言う人徳が
自分に無ければダメなんだ。
そしてその人徳は、どうやら僕には無いらしい。
そしてその無い事にたいして僕は、
全く残念な気持ちにならなかった。
「勝ち組み」「リーダー」「サバイバル」
僕は、世の中はそうではないと言う
新しい価値観で出発する事にした。
その「優れた人」の項目の先に待ってるものは、
僕には哀しみであると言う答えを、
バーチャルに描き出す事ができた。
これは、この世の真実とか答えとかの話では
きっと無いだろう。
それはあくまでも僕自身にとってのことなんだ。
僕自身にとっての答え、真実、はっきりとした世界。
それは世間とは違ってもいいんだ。
そしてそっと胸の中でしまっておけばいい。
それは希薄な人間関係なのかもしれない。
しかし、僕にはもうわかる。
理屈じゃあないんだ。
その場の空気でフレーズは変わる。
変わらなければならない。
そして変わることが自然なんだ。
僕は、きっと幸せすぎて
大切なものがわかりずらくなったから、
歌いたい言葉も見つからなくなってしまったんだろう。
僕の先に見えるものは、たった1つの光の点だけだ。
昔、ビデオで借りてダビングしておいたものを、
本棚の置くから引っ張り出してきて、見た。
それもこれもまぁ、ピアノを弾くために、
自分に酔うためにセナの姿でも見ようかと。
そんな感じです。
あのドラマはやっぱいい。
最近のドラマがなぜ面白くないか。
やはりそれは「照明」に尽きるだろう。
なぜに「渡る世間は鬼ばかり」の厨房はあんなに
明るいのか。
実際のお店は、居心地がいいように
照明は落としているではないか。
なぜに大河ドラマの「信長」に絵的に
信憑性が無いか。
なぜにあの時代はあんなに明るいのか。
着物の派手な色使いも、昔は「色褪せたイイ感じ」であったのではないのか。
畳にしたって、襖にしたってなんかうそ臭い。
そしてそのうそ臭さが、俳優にまで影響を
及ぼしてしまっている。
カツラの付け根が見えるではないか。
なぜに「暑いなぁ〜今日は」
という会話なのに、俳優は汗ひとつかいていないのだ。
この世は希薄であると人は言う。
その通りかもしれない。
この世は滅亡に向かって走っていると、
人は期待する。
現実的にそうだろう。
人は希望と言うものにすがって生きている。
それしかないからだろう。
人は自分を正当化する。
みんな自分が好きなんだろう。
人は群れる。
みんな寂しいんだろう。
人は愛する。
自分を抱きしめて欲しいんだろう。
そんな世の中で、矛盾が無い事がおかしい。
僕は、理想を探していた自分とは、
どこか変わってしまった。
全てを受け入れるようになってしまった。
尾崎豊がどうしても手に入れられなかったもの。
―「心の余裕」
僕はそれを手にした途端に、世界がぼやけ始めた。
またはっきりと見えなくなった。
でも心に温かいものが芽生えた。
滅亡を望まなくなった。
理想を置いてきてしまった。
なぜならば、理想の先に待っていたものは哀しみ
だったから。
僕は、現実のなかにまた違った形あるものを探そう
としている。
そして、その自分が探そうとしているものが、
「自分の思い通りじゃなくてもいい」
と思えるまでになってしまった。
負の方向の力が、正の方向へ変わった時。
そこからは、周りが砂漠で囲まれた長い
道のりが待っているだけだ。
そして、僕はその道をまっすぐ見つめて、
歩き始める準備ができた。
それは心の問題だ。
その道があまりにも平坦だから、
いままでは周りの砂漠を歩きつぶした。
「もっといいことはないか」って。
でも僕の人生は決まっていたような気がする。
僕は、自分のやれることしかやらないと言う事に
反抗してきた。
僕は、この世界の全てを変えたいと思って
いたんだ。
でも、それは難しい、と思うようになった。
なぜならば、
それには人が動かないとダメだからだ。
そしてその人を動かすと言う人徳が
自分に無ければダメなんだ。
そしてその人徳は、どうやら僕には無いらしい。
そしてその無い事にたいして僕は、
全く残念な気持ちにならなかった。
「勝ち組み」「リーダー」「サバイバル」
僕は、世の中はそうではないと言う
新しい価値観で出発する事にした。
その「優れた人」の項目の先に待ってるものは、
僕には哀しみであると言う答えを、
バーチャルに描き出す事ができた。
これは、この世の真実とか答えとかの話では
きっと無いだろう。
それはあくまでも僕自身にとってのことなんだ。
僕自身にとっての答え、真実、はっきりとした世界。
それは世間とは違ってもいいんだ。
そしてそっと胸の中でしまっておけばいい。
それは希薄な人間関係なのかもしれない。
しかし、僕にはもうわかる。
理屈じゃあないんだ。
その場の空気でフレーズは変わる。
変わらなければならない。
そして変わることが自然なんだ。
僕は、きっと幸せすぎて
大切なものがわかりずらくなったから、
歌いたい言葉も見つからなくなってしまったんだろう。
僕の先に見えるものは、たった1つの光の点だけだ。
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