この世の果てに

2002年8月27日
昨日、飲みがあった。

なんでみんなあんなに、笑顔なんだろう。
なんでみんな、あんなに幸せを感じられるんだろう。
どうしてみんな、疑問を、持たないのか。


僕の中には2人の自分がいる。

一人は自分の悩みを知っている自分。
もう一人は、将来の完璧なはずの自分。

飲みの中で、僕は決して
みんなから離れて冷笑を浮かべていたわけではない。

飲みの中心に突っ込んでいく自分がいた。
中心で誰よりも笑っていた自分がいた。
誰よりも幸せなはずの顔をしていた自分がいた。

しかし、それは本当の僕ではない。

僕は、自分の片方しか見せていない。
もちろん、両方を見せる必要なんてのは全くない。
見せる必要もないし、
見せられる相手でもないことはわかった。

影がない。
なぜかみんなには影がない。
みんなの顔を想像するとき、
いつもそれは笑顔なんだ。

そして、その中でも飛び切りの笑顔の人を
皆は賞賛した。
絶賛した。勝ち組だと手を叩いた。
僕は思う。「本当か」と。

僕は、この世間という名の社会に出て、
きっと仮面を被って生きていくだろう。
その事自体が悪いとは思わない。


だって、僕の中のもう一人は
「世間にマッチした人間」なのだから。
しかし、退職するまでいようなどと
みんなが思うようには、僕は思わない。

人生は賭けだ。ギャンブルだ。一かバチかだ。

そして、機が熟した時に、
僕は僕の中に溜まった負のエネルギーを放出させる。
そして振り子理論によって
その膨大なエネルギーは、正の方向へ光の速さで変換され、
世間をあっと言わせられるものに
急成長しているはずだ。

そのエネルギーをこの世間に解き放つと
それは「犯罪」となっていくだろう。
しかし、と僕は違う。

なぜならば、
僕は運命論者であり神の存在を信じるものだからだ。
神のために僕は、犯罪は犯せない。

きっと過去で多大な犯罪を犯してきた償いを
この現世で僕は行っているんだ。
2の舞は避けなければならない。

僕は、そのエネルギーを作品へと結びつける。
その時に、僕の生きてきた負の遺産が、
証明されるときが来る。
自分の生きる意味を問うことが、この人生、この世で
正しい事なのかどうか、
そんなことはどうでもいいのかもしれないけれど、
僕は、自分の天命と才能を知ったんだ。

僕は僕という人物を知ることで、
それ自体がもうすでにビックバンなんだ。

僕は本当に底知れなく深い。
昨日は心のそこから愛していた人を、
今日は簡単に憎めてしまう

そして本当に人を愛せない。
しかし、答えは愛だ。この世に愛と言う答えを神はちゃんと用意した。

そして才能。
それはひらめき。直感、イメージ。
僕の中の脳の一部で、シナプスの密なところを発見する事。
それは「生きる意味の答え」の一つになり得る
「この世の真実の一つ」なんだ。

そしてそれは、大事な本当に大事なことなんだ。

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