ぼやけ

2002年8月7日




恋とは、麻酔らしい。




僕は孤独で、今まで世の中の動きや自分の心の動きが、はっきりと
わかっていたものが、
ミナミちゃんを好きになってから、全てがあいまいになった。

世界全体の一大事など 無関心でいられちゃうこの思いを
知って ねぇ ねえ知って

by桜井 

曲名忘れた。

恋は盲目、というよりも僕にとっては、恋とは麻痺してしまうものだ。
この麻痺を、

いい意味で捉えるか、または悪い意味で捉えるかによって
この世の真実が、また、枝分かれしていく。

たぶん僕は、後者の人間だろう。
幸せと言うものが、それを欲しているくせに、いざ手に入ると、
それを平然と、冷めた目で壊してしまう。

生まれながらの破壊者だ。

僕に向いている事は、きっと芸術なんだろう。
それゆえに、生きている間は僕は誰からも愛される事なく、
また僕の作品も、誰からも評価される事なく、一人孤独の中で、
埋もれていく。

しかし、
そんな自分がいたとき。
路上にダンボールに包まって、行き交う忙しく歩くサラリーマンを見るたびに
きっと僕は、苦笑をしながら、自分の落ちぶれた環境に、
そっと自分自身で、同情の目をくれてやるんだろう。

僕は間違っているのかもしれない。
でも、この世に合っていることなんてあるのだろうか。
誰もが、自分を信じたくて、だからこそ群れる。
その群れの中で互いに自己牽制をしながら、他人の動向を見て見ぬ振りをして、
そんで自分より劣っているものがいると
「ホッ」と心を落ち着かせる。

僕はもうそんな社会で生きるのにうんざりだ。

かといって農業をやるなんて事は、負け犬の遠吠えでしかない。
僕はこの国を変えてやる。
そして、英雄になったとき、
僕はたった子猫一匹が、トラックに引かれそうなのを助けるんだ。

そしてその場で即死。
頭蓋骨は陥没し、その陥没した骨が脳を圧迫し、鼻から脳みそが
流れ落ちる。
目はうつろで、とても幸せそうな死に顔とは程遠い。

でも僕はきっと幸せだろう。
僕の幸せは、きっと人生の一番最後に訪れる。

それは生まれながらにして破壊者な僕が、自分で自分を破壊するとき。
それを他人の為にできたら、なんて幸せなのだろう。
それを愛する人の為にできたら。。。

僕は将来、愛する人と近くの銭湯帰りの夜道なんかを歩いていて、
ヤクザに囲まれて
「オイ、そのねーちゃんと犯らせろや」
と言ってきたら、大笑いしてしまうだろう。

そのとき僕は、逃げ出すわけでもなく、彼女を守るわけでもなく、
きっと自分自身の為に、そのヤクザ達に感謝しながら、向かっていくだろう。

「バカな奴らだなぁ、俺はいつだってこんな死に場所を探していたんだよ」と。

殴られても殴られても笑っている。
おかしくてしょうがない。
まるで矢吹丈のように。
倒れても倒れても立ちあがる。

なぜか。
この痛みを受けた腹、足、顔、そのぢんぢんする事が快感なんだ。
その痛みが、僕の中で忘れ去られていた、この世の透明さをはっきりと
映し出してくれる。
僕の生きる意味がそこにあるような気がする。
ともかくも、その痛みがあるって事は、僕は生きているって証拠だ。
その証拠をいま自分が持てている事のうれしさと言ったら、
うれしくてうれしくてしょうがないよ。

このうれしさは一回性のものだけど、じゃあその先には?
なんて考えている余裕は今の僕の状況にはない。
ヤクザに囲まれているんだ。
将来の夢を語っている場合じゃあない。

こんな僕にとっての理想状態はないよ。
生きる意味がそこにあり、かつ、自分の将来に希望も絶望もない。
色々な事を考えてしまって、自己嫌悪に陥る瞬間もない。
あるのは死か生か。

僕は土壇場で生を選ぶだろう。
そして、自分の中で、まさに本気になって死に物狂いになって、
でも頭は冷静で、自分の中で「カッカッ」と燃えてくる
熱い衝動が得られるはずだ。

そしてその生か死のどちらに転ぶかは、サイコロの半か長の運、偶然でしかない。
こんな楽しい人生はないよ。

家でゲームばかりしている子供が生きているって言えるのかい。
会社に毎日通っていれば、それで満足なのかい。
恋人とケンカして、クリスマス一緒に過ごして、交わって、それでいいのかい。

この世の中はシンプルなのか、複雑なのか。
今の僕には、それすらもわかっていない。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索