なんとなく。

2002年7月22日

な、なんと、ミスチル桜井が脳梗塞!?
ショックです。

死んでしまうのか?
また音楽家というものは、人に説いていく人は
また神はそういう人を選ばないのだろうか。

ジミヘン然り、尾崎然り。
音楽家は早くに死んでいく運命 というのは悲しすぎる。
でも、それだけ命削ってやってるってことかい。

「そこまでやらなくても」って人は止めるけど
、止めたら、止まったら死んでしまう人種の人たち。
それは、「才能」というものではなくて、
普通の人にあるものが欠けていること。

コンプレックスがある種の「特別な作品」
を生んでいくんだ。
劣等感は何かを生み出すときのモチベーションになる。

僕は最近わかった。
この世には光と影の世界がちゃんとある。
サラリーマンの中にも、群れる社会を嫌う人たちもいる。
逆に、群れてないと落ち着かない人たちもいる。

群れるのが好きな人たちは、残念ながら
「作品」を作っていく事はできない。
クリエイティブに向かない。
政治家とかが向いてる。

作品は孤独からしか生まれないのだよ。
みんなの意見を聞いて、なんて作品は
「商品」ではあっても、「芸術」にはありえない。

なぜならば、みんなの意見を作品に投影する
と共に、その作品の持っている「危険性」
が失われるからだ。
骨抜きになるって言う事だ。

人の魅力でも何でも、作品でも、この
「危険性」という事は、断じて抜きには語れない。
ジミヘンドリックスが神と言われるわけ。


ジミヘンの音楽の何がいいの?


そういう女の子はけっこういる。
ギターがうまいから。
フレーズが生きてるから。
姿がカッコいいし〜。

いろんな理由があるが、僕は思う。
それはきっと、作品の「危険性」だろう、と。

彼の音楽には「あぶない瞬間」が、いっぱいある。
そこが魅力になる。
それを人に説明するのは難しい。だからあやふやになる。
答えが出ない。あくまでも感覚であるから。

松田勇作とかもそう。あぶない。危険だ。
木村拓哉には、それが、ない。

松田勇作が「持っている」
キムタクが「持っていない」ということではない。

キムタクはフツーなのだよ。
フツーはいい事だ。悩まなくていい。
なぜなら、フツーでいる事は、感受性が鋭くない
から、自分がフツーである事がわからない。

「わからない」とうことは幸せだ。
人はわからないからこそ、アリになれる。
「終わり」まで見えてしまったら、
人は、前に進めなくなるだろう。

キムタクはフツーだった。
松田勇作は欠落していた。
そう、キムタクは「持っていた」のだ。
松田勇作は「持っていなかった」

何に、かはわからない。でも、欠けていた。
普通の人が持っているものがない。

だから、特殊だった。稀だった。
それが人を惹きつけた。
その欠けている事を彼は、悩んだだろう。
そして、欠けている事はコンプレックスとなって
彼を苦しめた。

その「欠けている事」は彼を敏感にさせた。
なぜなら毎日考えるから。
「なぜなんだ」「なぜ自分だけがこんな欠けている?」

周りのフツー人たちが楽しくキャンプなぞで
世間で言う「幸せなひと時」を過ごしている間にも
彼は6畳間でひとり頭を抱え込まなければ
ならなかった。 

常に「なぜ」「なぜ」を繰りかえす日々の中で
彼の感受性はどんどん鋭くなっていった。
しかし、その感受性こそが彼をもっと厄介な
所へと押しやっていく。


フツーの人が周りと群れる事で自己を消し、
「わからない」事で目の前の楽しみに素直に
触れて幸せになれる。

彼は知っていた。
目の前の楽しみの果てにいったい何が待っているのかと。
そこにあるものが見えすぎてしまった。
わかりすぎた。

フツーの人がわからないことが、わかってしまう。
これは不幸だ。
だから、彼はあらゆるものを冷めた目で見るようになった。

真実とは、目の前の楽しさにあるのではない。
一時の楽しさの後に待っているものは
「楽しかったね」という思い出と、
だるい倦怠がまとわりつくだけだ。

彼のまわりの景色は常にくすんでいた。
ぼやけている。はっきりとしていない。
いつも、靄がかかっている。

だから輝きを求めた。
一瞬の輝きではない。永遠に続く輝きを。
その輝きを見つけられれば、この苦悩から
逃れる事ができる。

この苦悩が、この欠落が何から来るものかは
わからない。
しかし、彼もフツーになりたかったのだ。
こんな自分の苦悩を1から分析しているほど
人生は、世の中は待っていてくれない。

だから、例え、一瞬でも、輝ければ、
自分ではなくて、自分が輝くのではなくて、
自分の目の前が、目の前だけでいいから、
そこさえ輝けば、自分は生きていける。

そう思えるものが、彼にとっては、大事なものだった。

そんなもんなのだ。
それでいいんだ。
人生とは、自分の事だけでいいんだ。
誰も、100年後の未来の為に なんて考えてはいない。

他人の子は死んでもいい。
でも自分の子は助けたい。
これは真実だ。知ったかぶりはもうやめだ。

それでいいのだ。
そんなもんなのだ。人生とは。

選挙カーに乗り、排気ガスを撒き散らしながら、
環境保護を訴える国会議員。

土日の商店街で親子が買い物をする事で、
お金の循環が上がり景気がよくなるから、
という理由で学校を週休2日にしたりして、
全然「ゆとり教育」のことなんか
考えていない、これっぽっちも考えていない、
金しか目に入っていない政治家達。

老人が早く死ねば、その分将来の若者の負担が
消えるというのに、少しでも長く生きようと
意味なくダラダラ過ごして、健康食品なんか
買い漁っちゃって、「最近の若者は」とかぼやい
ている高齢者。

本当に未来のことを考えるならば、
世界人口が減る事はいい事なのに
「恵まれない子へ愛の募金を」とか言っちゃって
必死に駅前でボランティアしている大学生の
親から仕送りもらっている暇な学生。
いいんだ。
全てが矛盾しているけど、それでいいんだ。
全ては「永遠」を目指す事から矛盾が生じている。

結局、みんな自分だけでいいんだ。
自分の周りだけ幸せならいい。
「永遠」を目指すからそうなる。

理想を通そうとするから、そうなる。
人類は滅びる。
それも近いうちに。
それでいいんだ。滅びないものはない。

自分はその時に死んでいる。
自分は痛くない。だからいいじゃん。
そう開き直ればいいのだ。

今を楽しく。

楽しきゃいいじゃん。
100年後より、明日のセックスだよ。君。
そんなもんだ。
この考えになんか文句あります?
自分の体なんだから、いいじゃん。
誰かに迷惑かけてますぅ?


そこまで割り切れたらそれは 幸せ だよ。

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