昨日のイングランド×アルゼンチン戦の話。
なんか新聞には「雪辱」って書いてあったけど、
俺はもう試合が始まる前にすでに冷めていた。
それはオレの価値観が最近変わったからだ。
今までのオレの価値観〜
・人は何かに向かって進むもの。
・必ずその一点の光に達する事ができる。
・そしてその一点に達した後には、この世のものと は思えない「幸福」と「満足感」が待っている。
・だから人生それに賭けて、がむしゃらにがんばろ う。
今のオレの価値観
・人は一点を見つけるのが人生の目的
・その一点に達した後に待っているものは「幸福」
よりもむしろ「哀しみ」
・人は何かに向かっているときが美しい
・だからあくまで「結果」よりも「過程」
・だからやった仕事の大きさで人を測ることはでき ない。
・どぶ掃除でもその人が「好き」と思えたら
それはそれで素敵な事。
・なぜなら結果ではなくて「過程」が大事だから。
今の価値観から生まれた新しいオレ
・会社に入る前に、結論を出す必要なんてない。
・「リーマン」は嫌だ、とか言ってる人を見ると可 哀想になる。
・「雪辱」とか言ってる人を可哀想と思う。
だって、雪辱って言ったって今度のドイツ大会では
また「アルゼンチンが雪辱」なんだぜ。
そんでその次のアフリカ大会(だろう)ではまた
「イングランド雪辱」・・・・・∞まで。
前は日本サッカー>>>>>>>>韓国サッカー
と思ってたけど、今は逆。
なぜなら韓国が日本の真似して「外国人監督」
にしたから。これはいいことだよ。ライバルのこと研究して、「他人の振り見て自分の振り直せ」
をしたわけだ。今後も日本、韓国は行ったり来たりで、レベルは上がっていく。
絶対にどっちかが圧倒的に強くなったりはしない。
そうなりそうな時に、どっちかが手を打つからだ。
まさに数学。らせん構造。
そう考えたらさー、なんか人生って急ぐもんでもないんだよ。きっと。
ビルとビルのの合間を「スタっスタっ」って歩くよりも時々立ち止まって、空を眺めてるほうが自然なんじゃないのか?素敵なんじゃないのか?
昔、たぶん何かを成したかもしれない
「うちのおばあちゃん」が
毎日テレビしか見ない生活をして、ダラダラ過ごしてて、国の年金で暮らしてて、そんでもって日本の政治を非難してても、それは意味ないことで。
過去じゃなくて今が大事と思う。
ボランティアに参加しろって言ってるんじゃないよ。この世に残されたぼくら子孫の為に、
そんなグータラな生活を見せる事で、何か残せるのだろうか?
僕達の教訓になってくれるのだろうか?
答えはノン、だ。
何でもいいんだ。
ピアノ習っても良いし、絵描いててもいい。
なんか自分の好きな事しててくれれば、
それに狂っててくれれば、僕達子孫は
「夢中になる事の素晴らしさ」
を知れるのではなかろうか?
「おばあちゃんが生きてた意味」があるんじゃないのか?
イチローも。
いまは輝いている。
でも彼がこの先20年野球選手をやる事は100%
不可能。それでもって、50年後にずらっと並べられたトロフィー見せられて、
「おれってすごいだろ?」
って言われても「へーすごいですね」だけの人間。
そんな事より、普通の80歳のおじいさんが
「いや、今ね陶芸にこっちゃって。
80なのにね、恥ずかしいんだけど。
でもね、おもしろいんだよ、好きなんだよ。」
って言ってたら後者のほうが素敵じゃないか?
だからその人がどんな人生を歩んできたか
って言うのはあんまり問題じゃないんだと思う。
だからイングランド×アルゼンチンを見て
一喜一憂する事ができなかった。
「イングランドおめでとう、アルゼンチン残念」
としか思わなかった。
ミスチルの「蘇生」って歌の中に
胸を揺さぶる 憧れや理想は
やっと手にした 瞬間にその姿消すんだ
ってのがあって、なんかホントにそうだな
って思った。オレの場合は消した後には
虚しさや悲しさがあって、それが他人には
すごくうらやましがられる事でも。
あーだから「自分有りき」なんだな、って思った。
他人が「いい」と思っても、自分が「いい」と思う事は少ない。
だからこそ、「自分の好きなもの」
をもっともっと我を通して、脇目も振らずに
がむしゃらになってみてもいいのでは?と思った。
僕の夢。
「僕は来年4月から会社に入り、そしてその会社
が終わってからその会社近くの歩道橋で
ジャズギターを弾き流しし、できたら一日一万円くらいもらえて、自分が納得できるインプロビゼーションをできて、だれも観客はいないけど、すごく
満足感だけは有って、できたら月がそれを祝福
してくれていれば良いな」
っていうのが僕の夢。
そのために毎日生きているのか。うーむ。
まぁそんなもんだろ、人生なんて。
とりあえず、明日の日本×ロシアは
2−0で日本勝ち。
得点者 前半35分:三都州(ミドルシュート)
後半27分:中田 (ヘッド)
です。当たったら何かくれ。
では。
なんか新聞には「雪辱」って書いてあったけど、
俺はもう試合が始まる前にすでに冷めていた。
それはオレの価値観が最近変わったからだ。
今までのオレの価値観〜
・人は何かに向かって進むもの。
・必ずその一点の光に達する事ができる。
・そしてその一点に達した後には、この世のものと は思えない「幸福」と「満足感」が待っている。
・だから人生それに賭けて、がむしゃらにがんばろ う。
今のオレの価値観
・人は一点を見つけるのが人生の目的
・その一点に達した後に待っているものは「幸福」
よりもむしろ「哀しみ」
・人は何かに向かっているときが美しい
・だからあくまで「結果」よりも「過程」
・だからやった仕事の大きさで人を測ることはでき ない。
・どぶ掃除でもその人が「好き」と思えたら
それはそれで素敵な事。
・なぜなら結果ではなくて「過程」が大事だから。
今の価値観から生まれた新しいオレ
・会社に入る前に、結論を出す必要なんてない。
・「リーマン」は嫌だ、とか言ってる人を見ると可 哀想になる。
・「雪辱」とか言ってる人を可哀想と思う。
だって、雪辱って言ったって今度のドイツ大会では
また「アルゼンチンが雪辱」なんだぜ。
そんでその次のアフリカ大会(だろう)ではまた
「イングランド雪辱」・・・・・∞まで。
前は日本サッカー>>>>>>>>韓国サッカー
と思ってたけど、今は逆。
なぜなら韓国が日本の真似して「外国人監督」
にしたから。これはいいことだよ。ライバルのこと研究して、「他人の振り見て自分の振り直せ」
をしたわけだ。今後も日本、韓国は行ったり来たりで、レベルは上がっていく。
絶対にどっちかが圧倒的に強くなったりはしない。
そうなりそうな時に、どっちかが手を打つからだ。
まさに数学。らせん構造。
そう考えたらさー、なんか人生って急ぐもんでもないんだよ。きっと。
ビルとビルのの合間を「スタっスタっ」って歩くよりも時々立ち止まって、空を眺めてるほうが自然なんじゃないのか?素敵なんじゃないのか?
昔、たぶん何かを成したかもしれない
「うちのおばあちゃん」が
毎日テレビしか見ない生活をして、ダラダラ過ごしてて、国の年金で暮らしてて、そんでもって日本の政治を非難してても、それは意味ないことで。
過去じゃなくて今が大事と思う。
ボランティアに参加しろって言ってるんじゃないよ。この世に残されたぼくら子孫の為に、
そんなグータラな生活を見せる事で、何か残せるのだろうか?
僕達の教訓になってくれるのだろうか?
答えはノン、だ。
何でもいいんだ。
ピアノ習っても良いし、絵描いててもいい。
なんか自分の好きな事しててくれれば、
それに狂っててくれれば、僕達子孫は
「夢中になる事の素晴らしさ」
を知れるのではなかろうか?
「おばあちゃんが生きてた意味」があるんじゃないのか?
イチローも。
いまは輝いている。
でも彼がこの先20年野球選手をやる事は100%
不可能。それでもって、50年後にずらっと並べられたトロフィー見せられて、
「おれってすごいだろ?」
って言われても「へーすごいですね」だけの人間。
そんな事より、普通の80歳のおじいさんが
「いや、今ね陶芸にこっちゃって。
80なのにね、恥ずかしいんだけど。
でもね、おもしろいんだよ、好きなんだよ。」
って言ってたら後者のほうが素敵じゃないか?
だからその人がどんな人生を歩んできたか
って言うのはあんまり問題じゃないんだと思う。
だからイングランド×アルゼンチンを見て
一喜一憂する事ができなかった。
「イングランドおめでとう、アルゼンチン残念」
としか思わなかった。
ミスチルの「蘇生」って歌の中に
胸を揺さぶる 憧れや理想は
やっと手にした 瞬間にその姿消すんだ
ってのがあって、なんかホントにそうだな
って思った。オレの場合は消した後には
虚しさや悲しさがあって、それが他人には
すごくうらやましがられる事でも。
あーだから「自分有りき」なんだな、って思った。
他人が「いい」と思っても、自分が「いい」と思う事は少ない。
だからこそ、「自分の好きなもの」
をもっともっと我を通して、脇目も振らずに
がむしゃらになってみてもいいのでは?と思った。
僕の夢。
「僕は来年4月から会社に入り、そしてその会社
が終わってからその会社近くの歩道橋で
ジャズギターを弾き流しし、できたら一日一万円くらいもらえて、自分が納得できるインプロビゼーションをできて、だれも観客はいないけど、すごく
満足感だけは有って、できたら月がそれを祝福
してくれていれば良いな」
っていうのが僕の夢。
そのために毎日生きているのか。うーむ。
まぁそんなもんだろ、人生なんて。
とりあえず、明日の日本×ロシアは
2−0で日本勝ち。
得点者 前半35分:三都州(ミドルシュート)
後半27分:中田 (ヘッド)
です。当たったら何かくれ。
では。
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