順調

2004年3月6日
今日は音楽漬けです。

最近、よくものごとを成し遂げる人に対して
よくそんなことができるなぁと思っていたが
日常の些細な出来事にだって
僕たちは怠慢である。

その日常の些細な事をちくちく一生懸命に
取り組んでこそ、ゴミも山となるのだろう。

でもちくちくやってくことは
そりゃそりゃ大変な価値観がいる。

出来事

2004年3月5日
今日は彼女が会社での相談事を持ちかけてきた。

先輩が怠慢らしい。
全ての事に意味があり、全ての人にいいところがあると
そうアドヴァイスした。

そうであって欲しいと思うところもあり、
またそうあるべきだとも思うからである。

世の中に明らかなルールはあると思うのだ。

かぼちゃ

2004年1月26日
やる気ないです。

なにもかもないです。
彼女とラブラブしてきました。
んー、離れがたい。。。

帰ってきてギター弾きたいけど、
眠いよん。
あー自分のしたいこと、しなきゃいけないこと
がどんどん出来ないです。

でも、やりたいと思ってればいつかやれるはず。

そう信じてるし、必ず実行して見せます。


だいこん

2004年1月22日
あー肩いたい。。

学生の頃は肩こりなんてなった事なかったのに。
神経使ってますなぁ。

まぁ、いい社会勉強だと思ってます。

これから
星に願いを をアレンジしてジャズ風にしたのを
譜面にします。
けっきょくさーなんでもアリなんでよね。

彼女と一緒にゆっくりしたいです。
ほのぼのしたいです。
それが幸せです。

ぼくにはやらなきゃいけない未来があります。
使命です。

かぼちゃ

2004年1月21日
今日は、彼女と100回くらいちゅ−しました。

飽きないですね、ちゅーは。
ホントに病気です。

あと昨日はクラシックギターの弦を張り替えました。
あれってチューニングが落ち着くまでに、かなり時間が要りますね。
エレキとは違います。

えー
音楽やりたいです。
でもやる時間ないし、今はほんとに疲れてます。

でも音楽やる理由ってなんなんだろう。
できたらかっこいい。
そのかっこいい自分惚れている、
そんなところでしょうか。

はくさい

2004年1月19日
今日は彼女に救われました。

僕は自殺しようと思っていたんです。
あくまで思ってただけだけど。。
でも彼女は、自殺だけはだめ と叱ってくれました。
抱きしめてくれました。泣いてくれました。

この世に意味なんてあるのか
この世に正しい事はあるのか
この世に未来はあるのか

そういったこと全てに彼女は答えをくれるようでした。
サッチモのWHTAT A WHNDERFUL WORLDの意味が
わかるような気がしました。

この世は確かに息苦しい。
呼吸をするだけで大変。
でもこの世には「それだけではない何か」があるような気がします。
きっときっとって、今はそう思えます。

明日、未来が輝いていますようにじゃなく
明日、未来が輝けるように自分もがんばりたいです。

にんじん

2004年1月18日
タイトルがめんどくさいので、今日から野菜シリーズ開始です。

えー彼女が、「おれ日記かいてるんやで」と言ったら
見たいと言い出しまして、見せる事になりました。

今日は電話で2時間くらい話しました。
そしたら彼女は2回泣きました。
「自分は必要とされていない」ってのがひとつ。
あとはおれが「自殺したい」って言ったら
「だめ。。。。」って泣いちゃいました。

明日は会社いけるか微妙な体調ですが、
なんとか寝たら直ってくれてるものを信じて
明日もがんばりたいと思います。

この週末、何もしてへんな−

ひさしぶり

2004年1月17日
久しぶりに書きます。

この半年いろんなことがありました。
・彼女が出来た
・希望が絶望へと変わった
・自分は普通ではない事がわかった

とまぁいろいろです。
自分の人生でやるべきこと、やらなきゃいけないことが
なんとなく見えてきたような気がします。

自分が普通でないとしたら・・・
・普通に生きるか
・普通でないことを認めるか
のどちらかでしか残された道はありません。

自分はいままで前者を選んできました。
しかし、今日から私は後者を選んで生きようと思うのです。
それは、どちらでもいいがそっちを試してみたくなった
などということではありません。
後者しか、自分は普通ではないと自覚して
自分の出来ることを精一杯やっていく、それしか
これからの人生で自分の生きる道はないと
悟ったからです。

自分には人を愛する才能もないことがわかりました。
自分は自分を信じるしかありません。

いまのきもち

2003年6月15日
今日は一日ブルーだった。

大切な人とケンカした。
価値観が違った。
もう本当の意味での仲直りは永遠にない。
そのことに涙した。
情けなかった。自分にはもう何もない、と思った。

足が勝手に動く。
駅を降り、家と反対方向へ歩いていた。
何かの大きな力が、導いてくれているようだった。

一軒のすし屋にひとりで入る。
酒をあおりたかった。かっ喰らいたかった。

客の一人が、よう青年!と話し掛けてくる。
マスターと一緒に人生相談が始まった。
悩みを打ち明けた。笑いがそこにはあった。
くだらない会話がうれしかった。
くだらない事は実はいちばん意味があるような
そんな気にさせてくれた。

人生は生きるに値しない
そう思っていた。平坦な道だったら、ずっとそう思っていたと思う。
でも今日はラッキーな事に人生どん底だった。
そこで始めて、人生とは何かに気付くチャンスが落ちていた。
最後に達した結論は、

人生は生きるに値しないかもしれない
でも僕は、そう思っている人たちを笑顔で励ましてあげたい
そして自分はいつだって自分だ
空のように大きな気持ちで生きよう

そう思えるようになった。
どん底に乾杯!

愛の力

2003年6月4日
ってスゴイと思った。

この人を好きだから、自分のイヤな部分もさらけだしたいと思える。
自分への愛情よりも、好きな子への愛情のほうが
上回ってきた。
でもそれは、アリなのか?と悩む。

自分のイヤなところもさらけだしたら、
彼女は疲れちゃうよ。他人への押し付けなのかも。
でも恋愛って、そんなもんだ。

今すぐ会って抱きしめたいよ〜。
でも僕はエロ黒です。
おもいっきりパンスト引きちぎって、
彼女のデカイケツに肉棒を突き刺してやりたいです。
レイプじゃあないよ。
お互いに付き合ってからね。

マジで苦しくなってきた。
何年ぶりだろう、恋。
でも実は1年半くらいなのかな。
最近だよ、それは。
あ〜ほんとに何も見えなくなってきた。
恋は盲目。メールしたいけど、出来ないこの辛さ。

だって恥ずかしいもん。
会社では普通に話せるのに〜。
あぁ〜マジで辛い。
こんなぐだぐだな内容でいいんだろーか。



くろ

2003年6月1日
女の子と会う。
それは、自分にとって自尊心を満たす。

女の子とデートしたと人にいう。
それは自分の優越感を高める。

なにかが足りない。
心にポッカリ穴があいている。
動こうと思っても動けない。
体も心も意思がない。

好きな子のことを考える。
顔が見えない。
好きだ、という感情のみで顔がはっきりしない。
本当に好きなのか、と考える。
答えはなかった。

女の子が遊びに来た。
優越感を満たす。でもそれだけだった。
セックスをするという行為は、たいした事ではない。

女とやっちゃってさ〜と人に自慢する。
それ自体に本質はない。
くだらない会話は、サラリーマンの主食である。

女とやっちゃってさ〜と人の話しを聞く。
うんざりする。
世の中は、ダラダラ色に染まっている。
でもその色が、世の中を正しい方向へと導いている。

モノゴトの本質は、けっして素晴らしいものではない。
そのダラダラを続ける事が生きることだと思う。
だらだらする。
それをできる人が、僕にとっての幸せな人だと思う。

いいかげんアゲイン

2003年5月21日
好きな子に怒られた。
「もういい」といわれた。
原因はわからない。
たぶん、僕の言動だろう。

悲しくなった。
目の前の世界が変わった。
−黒。
まわりの人の声が遠くでザワザワ言っていた。
こころが風船のようにしぼんでいった。

そんな彼女をまた好きな自分がいた。
彼女に見捨てられたら、と考えた。
ありえなかった。
彼女は僕のそばにずっといると思ってたから。

やっぱり好きなんだ、と思う。
でも晴れていない。
透きとおっていない。
ただひとつの点にならない。

彼女は僕にとって必要。
好きなのか、愛しているのか
それはまだぼやけたままだ。

このままじゃきっと後悔する。
でもその後悔を卑しんでいる自分が見える。
悲しい自分を同情して、自己保身している自分がいる。
他人への愛より自己愛。

その壁を取っ払うには?
壁は必要?
必要じゃあなかったら、今までの僕の人生は無駄?
壁と共存すべき?
壁を壊すべき?
壁を見なければいい?
そもそも壁って何?

午前3時おきで、外がしとしと雨なので
こんなこと考えてしまった。

いいかげん

2003年5月19日
好きな子がいた。
いつも会社で話してた。
いちばん仲良かった女の子だった。

好きになられた子がいる。
毎晩、部屋にあそびにくる。
いろんなこと話す。

自分はどっちが好きなのかわからなくなった。
好きでいるのは辛いこと。
好きでいられるのは、楽なこと。
自分は楽なほうを取ろうとしている。

自分が傷つきたくない無意識のカオスは、
自分の熱情さえもそ〜と上書きしてしまう。
好きなのと、自分に合うのは違う。
自分と似ているから好きだ。
でも自分と違うから、好きになった。

優しすぎるのでキライになった。
けなされた態度の中の優しさを好きになった。
純粋すぎるので、避けてしまう。
大雑把なので一緒にいて楽だ。

人の気持ちってホントいいかげんだ。
それを受け入れる事が、「それって当り前だよ」
といえることが大人になるということならば、
僕は全部破り棄ててやる。
蹴飛ばしてやる。
殴り倒してやる。

僕はいいかげんな自分を少しだけ呪った。

はたらく

2003年5月14日
サラリーマンにもいろいろある。
色んな人がいる。
モチベーションが高い人もいる。
自分のように、新入社員なのに低い人もいる。

仕事ができない人もいる。
それはきっとモチベーションのせいだろう。
モチベーションがない。
それなら辞めちゃえば良いのに。

家族のせいで。
子供のせいで。
自分のやりたい事なくして。
そのせいで会社辞められないなんて。

だったら何もいらないや。
おれは何も要らない。
いつでも自由でいたい。
現実をなくしてしまえるならば希望なんかなくてもいい。

好きな子がいる。
フツウの子です。
それは現実。
前に行かないのは恥ずかしいからではない。
自分を守りたいからである。
そうして自分の中の欲求を次々に排除していく。

その先に待っているものは、けっして光なんかじゃない。

殺意

2003年5月13日
昔の人はみんなさむらいだった。

人を殺していた。
でも今は違う。
人を殺す事はいけないこと。
民主主義だから。

でもみんな殺意はある。
理性で押し殺している。
ウソをついて生きている。
みんなが殺し合い。
そうなったら社会がなくなってしまう。

殺意はないと人は言う。
殺意とはどこから来るんだろう。
たぶん強烈な劣等感からくるのではないか。
なぜ自分だけがこんな目に、
というはけ口を他人に向けただけなのではないか。

自己中だけど、そうだと思う。
殺意のない人はフツウの人。
フツウの人は普通に笑える。
フツウの人は普通に幸せになれる。

フツウは悪くない。
でもフツウじゃない人もこの世にはいる。

「どうしたらあなたみたいな、音楽家になれるんですか」

フツウじゃないからだよ、と答えたい。
フツウじゃない心を、それを、芸術に向けるか犯罪に向けるか、
それしかない人たちもいる。

フツウじゃないというのはけっしていいことではない。



人と会う事

2003年5月11日
人と会う前は、ホントに鬱な気分になる。
話すのが面倒くさいし、その人の話も聞かなければならない。

でも実際、ふさぎこんだ中で突然の光。
人と話すことによって、何でこんなに気持ちが楽になるのか。
こんなにも充実感が得られるのか。

でも僕は欠陥人間。

気が落ち着くからといって、人といる事に頼りたくない
という自制が働く。
人といたくないという気持ちは変わらない。
この気持ちもいずれ変わるんだろうか。

僕も結婚して落ち着いた生活を送っているのだろうか。
それでいいのだろうか。
それが僕の生きる道なのだろうか。
僕がするべきことなのだろうか。
僕は、それで、満足なのだろうか。

すべてがわからない日々が続く。

悩み

2003年5月6日
ものごとを考える。
深く考える。
それは欠落した何かを埋めるためのもの。
その欠落した何かは、シナプスの回路を複雑化する。
その回路は、常識を疑う考えの細い糸が絡み合っているよう。
その回路はうまく生きることを拒絶する。
世間一般の常識を理解するのに、時間がかかる。

僕は塞ぎこむ。
そのせいで塞ぎこむ。
しかしそこで僕は欠落した何かが置いていった、
さまざまな価値に気付く。
複雑化した回路は、1本の線にはならないが
線を多数伸ばす事はできるのだ。

ならばその道を目指せばいい。
そしてその道は必ず用意されている。
闇のなかは、問題ではない。
光の世界は、明るすぎる。
自分は、未知の領域に挑むのか。

ともだち

2003年4月21日
「おれさ、毎週音楽習いに行ってるんだ」
「へぇ〜何やってるの?」

「譜面とか読むレッスンなんだけど」
「あ〜おれそ〜ゆうの完璧だよ。ピアノやってたから。そんなのオレが教えてあげるのに」

傷つきました。
ショックでした。
自分の一生懸命やっているものが
他人には「そんなもの」で終わってしまうのです。

これは昨日の話です。
今日の僕は見事に立ち直りました。
それは価値観の書き換えに成功したからです。

僕は長いあいだ生きてきて、悟った事があります。
それは
「ものごとを極めたら、おわり、だ」
という事です。

人間は馬のように、目の前にニンジンをぶら下げられて
一生懸命走っているとき。
それが美しいと思います。

つまり僕は
「何かを知っている」というのは
「幸せ」でもあり、また「不幸」でもあるのだ、
と思うのです。
知らないからこそ、若者は大胆になれる。
知っているからこそ、いまさら質問できないオヤジたちがいる。

社会に出ること
それは自分を知ることだろう。


祝☆復活!

2003年4月19日
もう1ヶ月近く書いてないよ。

待っていてくれた皆さん、ありがとうございました。
(え?誰も待っていないって?ノンノン。
この文を見ているということは、あなたが待っていたという事なのです)

わたくし、社会人になりまして
会社の寮に入りまして
ネットつなげませんでした。
が、今日からなんと高速通信!
マジで「はやっ!」思った。

突然マジメなはなし。
今ブルーです。
友達と会うと、劣等感を感じます。
友達だけじゃあなく、世間も、です。

それはぼくが欠陥人間だからです。
みんながマトモに見えます。
自分だけがダメと思えます。
それでも社会で生きていかなければなりません。
前を向かなければなりません。

またそれを、社会でもまれることを自分も
望み、社会に入ったのです。
そんな社会で、僕が持つたった一つの希望とは。

それはぼくが欠陥人間であるという優越感
なのです。
すごい皮肉なんですが、そうなんです。
欠陥という劣等感が、自分をダメにさせ、
そして自分を救っているのです。

そしてその自分が欠陥であるという優越感は
やがて自己愛に巨大化します。
それはもうデカイです。

「おれはお前らとはチガウ」

そう思わないと社会で生きていけない
価値観なのが僕です。
その自己愛は、自分以外の人を愛させなくします。
人を愛せない自分−

そこでなぜかまた世間が登場し、
世間では愛が氾濫しているのに、自分は・・・
と他人と比べて、自己嫌悪に陥ります。

それがたった今の自分です。

彼女に言われました。
「もう考えすぎない方がいいよ」

彼女とも分かり合えない自分がいます。
誰とも分かり合えないと割り切ろうかと思っています。
最近は。
考えたくて、考えているんじゃないんです。
考えちゃうんです。
そして、それを誤魔化すための「おしゃべり」や
「娯楽」−それを僕は大嫌いなんです。

そんな僕でも生きる道があるのがこの世界です。
この世界はホントよくできたスキーマです。

社会人

2003年3月27日
サラリーマンになること
スーツを着て会社に行くこと
通勤ラッシュの山手線に乗ること

これらの事を昔は軽蔑していた。
卑下していた。嘲笑っていた。
能力のないものの集団がサラリーマンであると
僕は思っていた。ハッキリとそう思っていた。

いまその答えは、はたしてそうなのか

というあいまいで不確かなものになってしまった。
それでいいと思う自分がいる。
それは進化した自分といえる自分がいる。
間違っているかもしれないが、それでいい
といえる自分がいる。

僕は今日いい本を読んだ。
「古武術なんたらかんたら」という本である。
その中で長年ぼくが悩んできた思想の解決
があった気がした。

Q:人生とは、すでに決められたものなのですか?
A:既に決まっている。しかし自由である。

この解説としてアインシュタインの光の性質を
取り上げて語っていた。
Q:光とはなんですか?
A:光とは、波でもあり、粒子でもある。

物事はやっぱり単純ではないようだ。

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